市長の金城太市が乗った公用車は市役所へと向かっていた。車中の金城は上機嫌だった。
「給食センターもやっと完成にこぎつけたな。」
「そうですね、市長。今日の内覧会も大盛況で。これで市長の評判もうなぎ上りですね。」
隣に座っている副市長の中村のごますりで、金城は顔を崩して喜んだ。
「はっはっはっ。そうかねー中村君。僕は市長としてやるべきことをやっているだけなんだけどね。」
謙遜に取れないこともない金城の言葉ではあったが、金城の正体は、その傲慢で蛇のように執念深い性格は市役所の職員から嫌われるというよりは恐れられていた。市政の為と思い、敢えて市長に苦言を呈する職員も最初はいたが、そんな職員を次々と左遷する金城のやり方を見せつけられ、次第に直言する職員はいなくなっていった。そして、今や市長に当選し既に4期目を務めている金城は、まさに市役所の中では絶対的権力を振るう帝王のような存在となっていた。
「とんでもございません。今回の給食センターの建設は、まさに市長の大英断でございます。」
中村は、副市長になって2年だが、その仕事ぶりに対して市職員の評価は決して高くはなく、副市長に抜擢されたときは、職員の間で驚きが走った。ただ、市長には決して逆らわず、どんな命令にも忠実に従うという中村の従順さが買われたんだという下馬評がほとんどだった。
そんな中村であったから、更に金城のご機嫌を取ろうと持ち上げた。しかし、金城の反応は違った。
「大英断!?」
金城の顔が、鬼の形相に変わった。それを見て、中村の背筋が一瞬で凍った。
「中村君、大英断とはどういう意味かね。まるで私が強引に造ったみたいに聞こえるじゃないか。」
金城がそういうのも無理はなかった。何故ならば、給食センターの必要性は議会でも指摘されていたからだ。その急先鋒だったのが小沢翔であった。翔の主張は次の内容だった。
市町村合併が全国的に進んでいる中で、この町も隣市との合併が検討されている。そして、その隣市には、厚生労働省の予算で作られた大規模な給食センターがあったからである。それは、全国のモデルとしてかなり国のお金が投入されて建設されていた。 翔は、合併が実現すれば給食センターは隣市のものだけで十分賄えるということを、丁寧かつ詳細に調べ数値データ化して、理論的に議会で市長に追求したのだった。
「我が市の給食センターの建設は、隣市との合併協議の結論が出てから判断することが妥当であることは明白だ!」と本会議で金城市長を追及する翔の迫力は、市役所内でも話題になり、金城のいわゆる恐怖政治に反感を持つ市職員の中に、密かな翔のファンができるほどだった。
市役所内ではイエスマンしか回りに置かず、議会ともなれ合いの関係を作り、わが世の春を謳歌していた金城にとって、議会で堂々と批判し議論をぶつけてくる翔の存在は、疎ましいだけでなく憎悪の気持ちさえ芽生えるほどであった。
中村は、大英断と言ったことが、議会でのそんな追及をかわし強引に建設に走った金城のやり方そのものであることに、今さら気づいたのだった。
「し、市長、決してそのような意味ではなく・・・。」
しまったと思っても時すでに遅く、金城の逆鱗に触れてしまったという現実に、中村はうろたえ、しどろもどろに返すのが精一杯だった。
金城はその様子を見て、自分の権威の大きさを改めて感じることができたためか、すぐに機嫌を取り戻した。
「まあ、中村君。ちょっと私もあれだな。君の言葉尻を捉えて、私も勘ぐりすぎたな。」
そういうと、中村の膝をぽーんと叩くと普段の表情に戻った。そして、安堵する中村をしり目に思い出したように続けた。
「しかし、あの小沢ってやつはまだ新米議員のくせに、本当に目障りだな。今日の式典にも来ていたけど、何であいつが来るんだ?」
「市長、何でも、高木委員長の代理だったそうでございます。」
さっきの恐怖感がまだ取れないのか、中村はハンカチで額の汗を拭き拭き答えた。
「ふーん。代理ね。あの高木もうっとおしいけど、なんであんな若造が委員長代理なのかね。そう言えば、私が話しているときも、ボーとして時々にやけていたから、気味悪かったよ。」
そういうと、金城は、2,3度身震いした。
真央に会った喜びで、翔が自分の世界に入っていたところを見られていたのだろう。翔には至福の時でも、何も知らない金城にとっては確かに薄気味悪く感じられてもおかしくない。その一方、市役所では皇帝のような存在である金城が「気味悪い」と言ったことに、副市長の中村は逆におかしく感じた。
「そうでございますね。本当に変わった奴です。市長のご挨拶をありがたく聞くべきでございますね。」
金城の珍しく滑稽に思える言動に、すっかり平静さを取り戻した中村は、いつものようにごまをする。そんなやりとりをしていると金城の携帯電話が鳴った。背広の内ポケットから携帯を取り出し、発信者を見ると金城の秘書の藤川だった。
「もしもし。」
「市長。藤川です。今、ちょっとよろしいですか。」
藤川は秘書と言っても、スケジュール管理や政策的サポートをするような役割ではなく、
金城の人脈を使って裏情報や政治献金を集める裏方的存在の秘書だった。役目柄、金城と行動を共にすることもあまりないので、市職員の中でも顔を知らないものは多かった。ただ、幹部職員では藤川を知らないものはなく、金城の命を受けて幹部を呼び出しては、市の職員としてあまりやりたくないような仕事を言いつけたり、時には幹部といえども叱責したりすることも度々あった。それ故、幹部職員からは市長の金城よりも恐れられていた。
その藤川からの電話だったが、口調がいつもより深刻だったので、中村の存在が気になりながらも会話を続けた。
「大丈夫だ。中村副市長も一緒だが、どうした。」
「中村さんも一緒ですか。では、声が漏れないように少し小さめに話しますのでご了解ください。」
「ああ」、と言いながら金城は携帯を耳に押付けた。
「市長、実は、帝都新聞の記者が嗅ぎつけています。」
藤川は声が漏れて中村に聞かれたとしても内容が分からないように気遣い、必要最低限の内容を伝えた。
「例の件か!?」
かなり動揺はしたが中村に悟られないよう平静を装い、金城も、藤川の考えを察知しているのかのように最低限の返事を返した。
「はい、例の件です。」
「分かった。詳しいことは、後で打ち合わせしよう。あと10分くらいで着くから、市長室で待っていてくれ。」
「分かりました。」
それだけの会話だったが、そのやり取りの様子を傍から伺っていた中村は、相手が市長秘書の藤川であることは察することができたし、内容は分からずとも重要な案件であることも感じ取られた。そして、金城と藤川の間には、中村がとても入っていくことはできないほどの強い絆があることを改めて感じたのだった。
電話を切ってから金城は車中のカーテンを少し開け、窓の外を眺めていた。中村はそれ以上話しかけようとはせず、じっと黙っていることにした。二人をのせた黒塗りの公用車は、車中の重い空気を覚られることもなく街中を進んでいった。
そして、市長の知られざる黒い過去が、翔と真央の人生に重くのしかかってくることになろうとは、まだ誰も知ることはなかった。