Sweet Memories 2006

風がさーっと吹いて桜の花びらが舞うと、
風が優しく思い出を語りかけてくるようだ。
いつも不思議に思う。
なぜ春の風には、ほんのりとした甘い香りがするのだろう。
3年前もそうだった。
それは、自分の人生が激変していく時の流れの中、
何年たっても変わらない。

第2章 第3節 市長登場

 市長の金城太市が乗った公用車は市役所へと向かっていた。車中の金城は上機嫌だった。

「給食センターもやっと完成にこぎつけたな。」
「そうですね、市長。今日の内覧会も大盛況で。これで市長の評判もうなぎ上りですね。」
隣に座っている副市長の中村のごますりで、金城は顔を崩して喜んだ。
「はっはっはっ。そうかねー中村君。僕は市長としてやるべきことをやっているだけなんだけどね。」
 謙遜に取れないこともない金城の言葉ではあったが、金城の正体は、その傲慢で蛇のように執念深い性格は市役所の職員から嫌われるというよりは恐れられていた。市政の為と思い、敢えて市長に苦言を呈する職員も最初はいたが、そんな職員を次々と左遷する金城のやり方を見せつけられ、次第に直言する職員はいなくなっていった。そして、今や市長に当選し既に4期目を務めている金城は、まさに市役所の中では絶対的権力を振るう帝王のような存在となっていた。
 「とんでもございません。今回の給食センターの建設は、まさに市長の大英断でございます。」
中村は、副市長になって2年だが、その仕事ぶりに対して市職員の評価は決して高くはなく、副市長に抜擢されたときは、職員の間で驚きが走った。ただ、市長には決して逆らわず、どんな命令にも忠実に従うという中村の従順さが買われたんだという下馬評がほとんどだった。
そんな中村であったから、更に金城のご機嫌を取ろうと持ち上げた。しかし、金城の反応は違った。
「大英断!?」
金城の顔が、鬼の形相に変わった。それを見て、中村の背筋が一瞬で凍った。
「中村君、大英断とはどういう意味かね。まるで私が強引に造ったみたいに聞こえるじゃないか。」
金城がそういうのも無理はなかった。何故ならば、給食センターの必要性は議会でも指摘されていたからだ。その急先鋒だったのが小沢翔であった。翔の主張は次の内容だった。  
市町村合併が全国的に進んでいる中で、この町も隣市との合併が検討されている。そして、その隣市には、厚生労働省の予算で作られた大規模な給食センターがあったからである。それは、全国のモデルとしてかなり国のお金が投入されて建設されていた。 翔は、合併が実現すれば給食センターは隣市のものだけで十分賄えるということを、丁寧かつ詳細に調べ数値データ化して、理論的に議会で市長に追求したのだった。
「我が市の給食センターの建設は、隣市との合併協議の結論が出てから判断することが妥当であることは明白だ!」と本会議で金城市長を追及する翔の迫力は、市役所内でも話題になり、金城のいわゆる恐怖政治に反感を持つ市職員の中に、密かな翔のファンができるほどだった。
 市役所内ではイエスマンしか回りに置かず、議会ともなれ合いの関係を作り、わが世の春を謳歌していた金城にとって、議会で堂々と批判し議論をぶつけてくる翔の存在は、疎ましいだけでなく憎悪の気持ちさえ芽生えるほどであった。
 中村は、大英断と言ったことが、議会でのそんな追及をかわし強引に建設に走った金城のやり方そのものであることに、今さら気づいたのだった。
「し、市長、決してそのような意味ではなく・・・。」
しまったと思っても時すでに遅く、金城の逆鱗に触れてしまったという現実に、中村はうろたえ、しどろもどろに返すのが精一杯だった。
金城はその様子を見て、自分の権威の大きさを改めて感じることができたためか、すぐに機嫌を取り戻した。
「まあ、中村君。ちょっと私もあれだな。君の言葉尻を捉えて、私も勘ぐりすぎたな。」
そういうと、中村の膝をぽーんと叩くと普段の表情に戻った。そして、安堵する中村をしり目に思い出したように続けた。
「しかし、あの小沢ってやつはまだ新米議員のくせに、本当に目障りだな。今日の式典にも来ていたけど、何であいつが来るんだ?」
「市長、何でも、高木委員長の代理だったそうでございます。」
さっきの恐怖感がまだ取れないのか、中村はハンカチで額の汗を拭き拭き答えた。
「ふーん。代理ね。あの高木もうっとおしいけど、なんであんな若造が委員長代理なのかね。そう言えば、私が話しているときも、ボーとして時々にやけていたから、気味悪かったよ。」
そういうと、金城は、2,3度身震いした。
真央に会った喜びで、翔が自分の世界に入っていたところを見られていたのだろう。翔には至福の時でも、何も知らない金城にとっては確かに薄気味悪く感じられてもおかしくない。その一方、市役所では皇帝のような存在である金城が「気味悪い」と言ったことに、副市長の中村は逆におかしく感じた。
「そうでございますね。本当に変わった奴です。市長のご挨拶をありがたく聞くべきでございますね。」
金城の珍しく滑稽に思える言動に、すっかり平静さを取り戻した中村は、いつものようにごまをする。そんなやりとりをしていると金城の携帯電話が鳴った。背広の内ポケットから携帯を取り出し、発信者を見ると金城の秘書の藤川だった。
「もしもし。」
「市長。藤川です。今、ちょっとよろしいですか。」
藤川は秘書と言っても、スケジュール管理や政策的サポートをするような役割ではなく、
金城の人脈を使って裏情報や政治献金を集める裏方的存在の秘書だった。役目柄、金城と行動を共にすることもあまりないので、市職員の中でも顔を知らないものは多かった。ただ、幹部職員では藤川を知らないものはなく、金城の命を受けて幹部を呼び出しては、市の職員としてあまりやりたくないような仕事を言いつけたり、時には幹部といえども叱責したりすることも度々あった。それ故、幹部職員からは市長の金城よりも恐れられていた。
 その藤川からの電話だったが、口調がいつもより深刻だったので、中村の存在が気になりながらも会話を続けた。
「大丈夫だ。中村副市長も一緒だが、どうした。」
「中村さんも一緒ですか。では、声が漏れないように少し小さめに話しますのでご了解ください。」
「ああ」、と言いながら金城は携帯を耳に押付けた。
「市長、実は、帝都新聞の記者が嗅ぎつけています。」
藤川は声が漏れて中村に聞かれたとしても内容が分からないように気遣い、必要最低限の内容を伝えた。
「例の件か!?」
かなり動揺はしたが中村に悟られないよう平静を装い、金城も、藤川の考えを察知しているのかのように最低限の返事を返した。
「はい、例の件です。」
「分かった。詳しいことは、後で打ち合わせしよう。あと10分くらいで着くから、市長室で待っていてくれ。」
「分かりました。」
それだけの会話だったが、そのやり取りの様子を傍から伺っていた中村は、相手が市長秘書の藤川であることは察することができたし、内容は分からずとも重要な案件であることも感じ取られた。そして、金城と藤川の間には、中村がとても入っていくことはできないほどの強い絆があることを改めて感じたのだった。
電話を切ってから金城は車中のカーテンを少し開け、窓の外を眺めていた。中村はそれ以上話しかけようとはせず、じっと黙っていることにした。二人をのせた黒塗りの公用車は、車中の重い空気を覚られることもなく街中を進んでいった。

そして、市長の知られざる黒い過去が、翔と真央の人生に重くのしかかってくることになろうとは、まだ誰も知ることはなかった。

第2章 第2節 翔の成果

「ねえ、あの若い議員さん、わりとイケメンじゃない。」隣に座っている米倉恵が真央に小声で話しかけてきた。

真央は、給食センターのパンフレットに目を通していたが、その言葉で何気に米倉の視線を辿ると、市職員に案内され会場に入ってくる翔が目に入った。
あっと思ったが、「そうですかね。私は、あんまりタイプじゃないし」と、敢えて否定するかの口調で答えた。しかし、却って米倉は真央のむきになる態度を見て驚いた。
真央は、米倉の少し怪訝そうのな顔を見てはっとした。何でタイプなんて言葉が出たんだろうと思ったのだが、何か見透かされるような気になったこともあって、米倉から目線を外そうと再び翔がいた方に目をやった。
その時、座りかけていた翔が、真央の視線が向いたと同時に動きが止まり、真央の方を振り返った。真央は、どきりとした。
翔も少し驚いた様子だったが、笑顔で視線を送り軽く頭を下げた。
真央は、視線がつながっていることを感じながら、ぺこりとうなずき挨拶を返した。
「あれれ。真央先生は、あのイケメン君と知り合いなの―」
真央の顔を覗き込んできた米倉の目が、いたずらっぽく笑っていた。
「ち、違いますよ。よく、学校の近くの横断歩道で会うんですよ。あの人、交通安全だから。それに、私とは住む世界が違いますから。」
いっきにまくしたてた真央だったが、すぐに、言ったことが文章になってないと気付いた。「私は何を言っているんだろう」そう思ったが、時すでに遅しで、そのうろたえぶりを見ていた米倉は、一瞬驚いてから「ふーん」と言うと、笑みを浮かべながらも何かを確信したような顔付きになっていた。


給食センターから市役所に戻った翔は、軽い足取りで議員控室へ向かった。控室には高木が戻っているらしく在室のランプが点いていた。
「お疲れっす!」と控室の扉を開けた時、翔の晴れ晴れとした気持ちと対称的に深刻な顔つきをした高木がいた。
「高木さん、お疲れ様です。」
翔は、とても場違いな態度を取ってしまった気がして、とっさに高木の気持ちを汲んだかのように丁寧に挨拶を言い直した。
「おー、お疲れさん。」
高木は、ふっと我に返ったあと、翔に向かって微笑んだ。翔は、いつもは冷静沈着な高木がここまで思いにふけっている姿を見て驚きを隠せなかった。ただ、それを察したかのように高木が言葉を続けた。
「内覧会はどうだった?」
それは翔の気をそらすにあまりにも十分な一言だった。
「それがですね、高木さん。何と,何と、彼女が来てたんですよ。」
喜色満面で話す翔を見て、高木も身を乗り出してきた。
「やっぱりそうか。それで!」
「それで。祈念式典であいさつを交わして。それから、内覧会でそれとなく近づいて。」
「うん、うん。」高木も嬉しそうに頷く。
「近づいたんですけど、話しかける言葉が出なくて。」
「なんだそりゃ。」
「そしたら、一緒にいたモデルみたいに綺麗な先生が話しかけてきてくれたんですよ!」
「モデル?」
一瞬、高木の顔が曇ったが、翔は全く気にせず言葉を続けた。
「その先生が『議員さんですか―。いつも交通安全されてますよねー』って。その先生とは会ったことなかったんですが、『ありがとうございます。小学校の先生ですよね。』って感じでやりとりして。」
「ほー。」
「それで、そのきれいな先生が、例の彼女を紹介してくれて。それぞれ名刺交換して。そこから『りっぱな給食センターですよねー』って話し出して。」
「それで、翔が好きな先生はどんな感じだった。」
「それが、意外と気さくに話してくれて。最初は、少し照れているような感じだったんですけど。きれいな先生の方が何となく仲を取り持つように話を振ってくれて。それで、結構会話が弾んだんですよ」
それが翔にとってどれだけ楽しい時間であったかは、顔を見れば推して知るべしであった。
「なるほど-。マーケティングでいう、商品名を知ってもらうというステップは踏めたわけだな。それで、次の段階には行けたの?」
「はい、高木さん。そこは高木さんから教わったことをしっかり覚えていますから。一条先生、あ、彼女の名前なんですけど。」
「一条何ていうの?」
「一条真央です。」
「いい名前だな。」
そう言うと、高木は、真央の名前を記憶するかのように、2,3度口を動かした。
「でしょう。それで、とりあえず、ペットの話をしたんですよ。そしたら、それに食いついてきて。一条さんは子犬を飼っていて、一緒に寝るくらい可愛いがっているんですって。それで、自分も金魚の話をしました。」
「金魚?」
「はい。高木さん、自分が金魚を溺愛してるの言わなかったですっけ?」
「知らない。」
興奮気味に話す翔とは対照的にそっけない返事をした高木だったが、内心では翔の真央に対する恋心の大きさを改めて確信していた。
「そしたら、きれいな先生の方が、『今度、私たちに金魚のお話をゆっくり聞かせてくださいね』な―んて言ってくれて。一条先生も、うなずいていましたけど。結局、次の設備を見るために移動することになって、話はそこで途切れちゃいました。」
「約束まではいけなかったか。でも、最初の段階としては上出来だよ。」
「そうですね、高木さん。ほんと、神様っているもんですね。」
ロマンチストな反面、理論立てて考えようとするありがちな理系の思考からか、普段は非論理的に思う「神頼み」みたいなことに抵抗感を感じている翔であった。しかし、真央との出会いに淡い期待を持って出かけたことが、本当に現実のものになった驚きを自分の気持ちの中で昇華する為か、思わず「神様」という言葉を口にした。
「そうだな。でも、翔の真摯な思いが現実を作ったんだよ。」
翔は、高木らしい言い回しと思った。そして、気持ちがひと段落したせいか、さっきの高木の深刻な顔が再び瞼によみがえった。
「そういえば、ここに入ってきたときすごく深刻な顔をされていましたけど、どうされたんですか。ひょっとして今朝の記者さんの話の件ですか?」
「んー。そうなんだよ。」
翔にしては珍しく的を得ていたせいか、高木は敢えて隠そうともしなかった。
「今朝言ってた後輩の記者な。堀内って言うんだけど、かなりやばい話だったんだ。」
「やばい!?」
「ああ。もちろん、ここだけの話だけど。」
「はい。」
「給食センタ―に関する談合の話なんだ。」
「えっ!・・・ひょっとして。」
「ああ。市長さ。」
「やっぱり。」
翔がそう言ったのは、給食センターの入札に関して、落札に有力な建設会社の担当者が入札直前に首つり自殺を図ったことがあったからだった。その結果、市長に近いと噂される企業が落札したが、あまりにも出来すぎた話であったため、関係者の間で黒い噂が駆け巡ったことがあったのだった。
「堀内がつかんだネタが、担当者の自殺に市長に近い人間がからんでいるらしいという事なんだ。」
「えっ!それが本当なら、大事じゃないっすか。」
「そうなんだ。」高木の眉間にしわが寄った。
「ただ、はっきりした証拠がなくて、堀内は有力な情報を持っている人間に午後から接触するという事で別れたんだけど・・・」
高木が言葉を濁したのは、話を聞き終わってホテルのロビーを出ていくときに、人相の
悪い、明らかに反社会勢力の人間と思われる2人組の視線が、堀内に向けられているような気がしていたからだった。そしてそれが、何となく胸騒ぎになって残っていたのだった。
「ちょっと俺も調べたいことがあるから出かけてくるわ。」
そういうと高木はすっと立ち上がった。そしていつものように掛けてあった上着を取り、さっと肩に担ぎ部屋を出ようとした。ところが、2,3歩進むと振り返って翔に話しかけた。
「近いうちに、メシでも食いながら作戦会議しようぜ。真央ちゃん攻略の。」
そう言うと、いつものように軽くウインクし部屋を出て行った。いつも思うのだが、その様は、まるでハリウッドのスターがする仕草のようにかっこよく見えた。そして、高木の言葉で、翔の心の中に期待感がまた膨らんでいくのだった。

第2章 出会いは偶然に 第1節 いざ、給食センターへ

高木の代理で、市長肝いりの給食センター内覧会へ行くことになった翔だが、いつもの行政視察のように気持ちが乗らないということではなかった。それは、高木の、小学校の先生たちも参加するらしいという情報に、何となく胸騒ぎがしていたからだ。
「ひょっとしたら、あの先生が来てるかも。」
翔の、いつも自分に都合がいいように解釈する、楽観的な性格らしいといえばそうかもしれない。しかし、今回はそれだけではなくて、高木から「とにかく、心から運命的な出会いを想像すること」ということも教わっていたからだった。それが、淡い期待感に変わっていったのだろう。
正直、最初、高木からそのことを教わった時、「それが作戦?」と思った。しかし、翔は高木が言うことだからこそ信じる気になった。何故ならば、高木が以前言っていた言葉に強く感銘したことがあったからだ。
たたき上げの高木は、翔と酒を飲んだ時、経験から得た自分の人生訓を話す。
高木は翔の父のような戦災孤児ではなかったが、幼いころ、父の事業が倒産し、かなり経済的に苦労をしたらしい。自分の経験則を話すそんな高木に、翔の父が重なることがある。
高木は「未来の姿を強く思い描き、それが例え叶わなくても人のせいにしないくらいの覚悟で一心不乱に努力すれば、思った通りの結果になるものだ。」と話していたが、それは、まさに高木がこれまで歩んできた道そのものなんだろう。だから、他の人物が「未来を作れ」みたいな話をしても共感はしなかったと思うが、高木の生き様を知っているからこそ、信憑性を感じることができた。それは、人から踏まれ、それまで体験したことない逆境に次々と襲われ、それでも、信念を貫いて生きてきた人間の魂の叫びでもあった。
そんな考えを巡らせながら翔が乗った車は給食センターへ向かって進んでいたが、近づくにつれ、翔の淡い期待が確信めいたものへと変わって行くのだった。


翔が乗った、委員長用に用意された車はすべるように給食センターの正面玄関へ着いた。
待ち構えていた市の職員が車のドアを開けてくれる。
たいていの議員は、このような待遇にご満悦になる。しかし、翔は市の職員に特別扱いされることを心地いいとは思わない。確かに「おぼっちゃなま」な翔ではあるが、子供の頃にちやほやしてくれた大人たちと、「先生、先生」とおだててくる市の職員とは、その腹の中が全く違うという事を分かっているからだ。
それは、地方の政治の仕組みも関係してくる。分かりやすく言うと、地方は、市長をトップにした「市」という会社と、議員たちによる「議会」という会社で成り立っている。役割は、「市」は集めた税金をどのように使うかの予算を立て、それを監視するのが「議会」になる。だから「議会」がうんと言わなければ、「市」は予算を執行できない。
そこで、「市」としては、「議会」にあれこれ口出しされることなく、自分たちの思うように予算立てしたいのが本音だ。「議会」も膨大な予算案に隅々まで口出ししていたら、それこそ寝ずにやっても追いつかない。だから、自分の選挙に有利になるような、お願いしたいところの予算付けしてくれれば、他は目をつむって決済したい。それが、本音だ。
そのような、お互いの思惑が一致すると、「市」は「議会」に面従腹背、表面はごまをすり出来るだけ予算への反対はさせない、「議会」は自分の選挙に都合がいい予算を付けてもらえれば、予算に賛成する。そんな、市民そっちのけの、なれ合いもたれ合いの関係ができてしまう。


翔は、初当選して一番驚いたことが、この、市と議会がこのなれ合いの政治を行っていることだった。さらには、大物議員になると、議会で自分が質問する原稿を市の職員に作らせているという噂も聞いた。父親譲りの「曲がったことが大嫌い」な正義感が強く実直な性格の翔は、「そんななれ合いの関係は市民に対して不誠実だ」と、高木と初めて飲んだ時、荒れまくったぐらいだ。それ故、翔は、言いたいこと、おかしいと思うことは遠慮なく言うようにしている。結果として、翔の歯に衣着せぬ言動は議会の中では煙たがられ、市の職員、特に幹部職員は毛嫌いするようになった。


委員長用の車のドアを開けたのも、幹部職員の一人だった。どうやら幹部職員には委員長の高木は来ない事を知らされていなかったのだろう。車から出てきた翔の姿を見て、あからさまに作り笑顔が一瞬むっとした顔に変わった。しかし、また次の瞬間、作り笑顔に戻り「小沢先生でしたか。驚きました―」と声を裏返し、ご機嫌をとるかのようなしぐさで出迎えた。
幹部職員から毛嫌いされていることは承知の上の事なので「またかよー」と内心思ったが、翔は何事なかったかのように、「お疲れ様です。」とだけ言い、敢えて無表情を装い、案内されるまま建物の中へ入って行った。


内覧会に先立って行われる記念式典に出席する人たちで、給食センターの中はすでにいっぱいになっていた。翔は、その中を、市の職員に誘導されながら進んでいった。本心はさておき甲斐甲斐しく案内する職員と、案内される翔を見て「誰なんだろう」という周囲の好奇心の目が、翔にとっては煩わしくさえ感じた。
「大名行列じゃないんだから。」そんなことも思いながら、うつむき加減で人ごみの中を用意された席へと導かれていった。
「先生、どうぞ。」と誘導する職員が、最前列の席に手のひらを差し出す。
「先生と言われるのも嫌なんだけどな―。」そう思いながら、後方の出席者に向けて一礼をして、用意された委員長用の席に座ろうとした瞬間、翔の目に残像がよみがえった。
ハッとして、もう一度後ろを振り返る。
やはりそうだった。
「彼女だ!」
翔は体中の血が沸騰するかのような興奮を感じた。
内覧会に来ている小学校の先生たちの中にいた真央の姿が、翔の残像にしっかり焼きつけられていたのだった。
さらに偶然なことなのか、翔が再び後ろを振り返った時、真央と視線が合ったのだった。
翔は、夢心地のまま、真央に向けて軽く頭を下げた。
真央も、軽く頭を下げてくれた。
「気づいてくれている。」それだけで、翔は天にも昇る気持ちになった。



「小沢先生。」
また一人の世界に入りそうだった翔を現実に引き戻す声が耳に入ってきた。
はっとして、翔は顔を上げた。そこに、赤いリボンで出来たバラの胸飾りを持った若い市の市職員がいた。
「小沢先生、すみません。これを付けてください。」
渡し忘れたのか、若い職員は平身低頭し翔の胸にバラの胸飾りを付けようとした。
「いいよ、自分でやりますから。」
翔は、真央を意識していたのか、寛大な人物を演じながら職員から胸飾りを受け取った。そもそも「先生、先生」と市職員から持ち上げられること自体、嫌だったのだが、この時ばかりは、持ち上げてくれることを何となく嬉しく感じた。
そして、式典が開催になり市長の挨拶が始まった。ただ、真央が来ていたことと何よりも目であいさつを交わせた喜びで、また一人の世界に入り込み、喜びに浸っていた翔であった。