第1章 第2節 私は一条真央
私は、一条真央。小学校の教師だ。学生時代はアナウンサー志望だったが、テレビ局はどこも受からず、悩んだ末、母が教師であったこともあって、この町の教員試験を受けた。熱望した職ではなかったが、採用の通知を頂いたので、気持ちを一新し教職に人生を捧げることにした。
教師生活は8年目になるが、この4月に今の小学校に転勤になって、2年生の担任をしている。低学年の子供は、まだ幼さが残っていて思いもよらない行動をする。独身で子供もいない私だけど、「真央ちゃん、真央ちゃん」となついてくる純粋無垢な子供たちは我が子のように可愛いし、子供たちと話していると却って私が癒される。願望だった女子アナにはなれなかったが、最近は、教職の方が私にあっていたのではないかとさえ思うようになって来た。
年齢は、今年30歳になった。もう30代かとも思うし、まだ30歳とも思う。ただ、結婚願望は全くない。それは、たぶん、私が両親を亡くしてから家族を欲しいと思わなくなったからだろう。その一方、周りから、特に男性には30過ぎの独身女性は話題にしやすいのだろうか、時々、年齢を話題にして突っ込んでくる。昨日も教頭が「一条先生、まだご結婚はー?」なんて平気で聞いてくる。
それでも私は、「教頭先生、どなたか紹介してくださいよー。」とニコニコしながら返事をする。一般的にはセクハラになるのだろうが、事を荒立てようとは思わない。上司だから泣き寝入りしようというわけでない。それは、私が頑(かたく)なに母の教えを守っているからだ。厳しかった半面とても優しい人でもあった母は、生前、私にいろんな事を教えてくれた。
「真央がお嫁入りしたとき、先方様に恥ずかしい思いをさせてはだめよ。」と、母自身が祖母から教わったということをよく私に話してくれた。そのひとつに、「女は明るいのが一番。ブスッとしていたらブスになるし、人は近づかないのよ。人が寄ってくるところに運もお金も寄ってくるの。だから、真央も、辛くても人前では明るく、元気でいるのよ。人となりは大切だから、人からどう見られているか、いつも考えて行動しなさい。それと、人間は四六時中苦労するようにできているから、受け取り方を前向きに考えたほうがいい。それだけで、人生が天と地ほど変わってくるからね。」ということがあった。
それ故に、辛いことがあっても、人前では努めて笑顔でいようとするし、嫌なことを言われてもムッとした顔をしないように気を付けている。母の教えを忠実に実行してきたため、手前味噌だが職場の人間関係でもめたことは一度もない。
ただし、もちろん私も生身の人間だから、一日中明るい気持ちでいるわけではない。むしろ、辛いときのほうが多い。そんな時は、できるだけ心のバランスを取る事をする。意外と思われるかもしれないが、私の一番のストレス発散は漫才だ。一人漫談も好きだし、グループでやるコントも大好きだ。テレビ番組は欠かさず録画し、足りないときはレンタルしてくるときもある。疲れたなーと思うとき、部屋の明かりを消しひとりお笑いを見る。そんな時は、自分が何にも考えず、ただ無の状態になっていたことが後から分かる。しかし、耐えようもない寂しさに襲われるときは、お笑いで紛らわすことはできない。そんな時は、ペットのハッピーの存在が私を助けてくれる。
ハッピーは私が教師になって間もないころ、帰り道にあったペットショップで売りに出されていた。ショウウインドウに、段になって置いてある檻のひとつにミニチュアダックスフンドのハッピーがいた。他にもワンちゃんたちはいたが、ハッピーだけがじっと私を見ていた。その愛らしく寂しげな目が自分に重なった。この子も私と一緒で天涯孤独なのだ、そう思ったらいたたまれなくなり、お店に入って抱かせてほしいと頼んだ。生まれてまだ3ヶ月だったが、檻の中から出された瞬間、店内を元気よく走り回り1周したかと思ったら私の膝の上に飛び込んできた。そして、さっきと同じ目で私の顔をじっと見上げた。何か運命めいたものも感じた次の瞬間、店員さんに「この子ください。」と言っていた。ちょうどボーナスが出たばかりだったので、お店に支払うお金は問題なかったが、その時の住まいがペット禁止だったので、貯金を使い、次の日には引っ越し先を決め、1週間後にはハッピーを迎えに行くことができた。それ以来、8年の間、私の唯一の家族でいてくれている。
そんなハッピーとは毎晩同じベッドで寝ている。そして、とめどなく押し寄せてくる悲しみに耐えられないとき、布団の中で涙を流す。そんな私の気持ちを察してくれるのか、ハッピーは頬を伝う私の涙を優しく舐めてくれる。そして、私は誰にも言えない自分の思いをハッピーに話したりする。もちろん、ハッピーが答えてくれるわけはないが、私の言っていることを理解しているようにじっと聞いてくれる。それだけでも、精神的に追い詰められた私は救われる。おかげで、心のバランスを取ることができている。だから、私が、両親の後を追わずに生きていくことができているのも、ハッピーのおかげだと思っている。
職場の人間関係でもめたことは一度もないと言ったが、人付き合いの対応で困ることが度々ある。それは、男性からの誘いだ。先日も、職場の独身の先生から映画の誘いを受けた。「いきなり映画?!」とも思ったが、用事があるという苦しい言い訳で逃げた。しかし、相手が悲しげな表情を浮かべるのを見ると、とても申し訳ない気持ちにもなる。映画くらい付き合ってもいいんじゃないかとも思うが、やはりその先のことを考えると二の足を踏んでしまう。というのも、私が男性とお付き合いすることにトラウマのようなものがあるからだ。
それは、大学1年生の時だった。テニスサークルに入った私は、しばらくすると3年生の先輩から交際を申し込まれた。びっくりしたが、すごく頼れる先輩だったのでお付き合いすることにした。学校の授業とアルバイトで忙しく頻繁には会えなかったが、何度かデートを重ねるうちに恋人同士の雰囲気になってきた。ただ、それと同時に、私の家族のことも聞くようになってきた。私は、大学の友達には両親を亡くしていることは言ってなかった。それは、いろいろと詮索されるのを疎ましく思ったし、両親の死を現実の事として受け止めることができていなかったので、話すと相手が土足で心の中に入って来るような気がしたからだ。だから、結局、その先輩にも本当のことは言わなかった。正直に言うと、すべてを話せば、私の心をすべて委ねてしまう気がして怖かったからだと思う。それでも、彼のことは好きだったが、そんな気持ちとの狭間でどういうふうに接していいのか、次第に心の中で苦慮するようになっていた。
私が2年生になっても交際は続いていた。夏休みに泊りで海に行こうと誘われた。授業料や生活費を親に頼れない私は、あまりバイトを休みたくなかったが、好きでもあったので誘いを受けることにした。彼が兄に借りてきたという車に乗って湘南へ向かった。海の青さがまぶしいくらいに美しかった。沈みゆく夕日を眺め、たわいもない話をした。とても楽しかった。そしてその夜、私は彼に体を許した。
海から帰ってきて、またバイト三昧の日々が続いたが、秋になり学校が始まったある日、彼がどうしても会いたいということで、バイトを休んだ。その日の夜、すごくおしゃれなフランス料理のレストランで食事をした。そして、彼からプロポーズをされた。彼は、就職も決まったので、卒業したら結婚して欲しいとのことだった。びっくりしたが、正直、うれしかった。ただ、少し考えさせてほしいと言って、その日の夜は別れた。
家に帰り、一人になっていろいろなことを考えた。私は卒業まで2年残っているから、大学に行きながら主婦をするのかな、バイトと両立するのかな、子供ができたらどうしよう、など考えているだけで楽しい気分になった。
しかし、両親がいないことをどう話そう、と考え始めたら、なぜか、結婚することにものすごい恐怖感を感じた。しかし、当時はそれがなぜなのかを深く考えきれなかった。ただただ、家庭を持つことを私の心が遠ざけようとしていた。今思えば、愛する人を持つことよりも、愛する人を失った時のトラウマがあまりにも強すぎたため恐怖感を感じたのだろう。
結局、私は彼のプロポーズをお断りした。その時の、彼の驚愕しすぐに落胆していく顔が忘れられない。どうしてもだめなのか、と聞かれたが、学生結婚はしたくないと嘘をつき、その場を離れた。帰りすがり、彼の悲しい顔がまぶたの裏に焼き付いてとても辛かったが、同時に、私を襲っていた恐怖感がスッと消えたことにも気づいた。そして、それ以来、私は恋をすることに心の封印をした。